前回、昭和22年4月に第1回の歯科医師国家試験が実施されたことを書いたが、保存学の記述式の問題は以下のようなものであった。1.ブラック氏剔削用器械(Cutting instruments)の把柄に記入してある数字は何を意味 するか例を挙げて説明せよ2.所謂軟化象牙質はどうして形成されるか,これを病理学的に説明せよ3.隣接面に発生した初期齲蝕はどうしてこれを発見するか4.抜髄はどういう場合に行ってよいか,そして何の目的で行うのか5.第二象牙質はどういう場合に形成されるか6.各永久歯の根端完成の時期について述べよ7.ラバーダム防湿法にはどんな利点があるか8.根管充填剤としてはどんな性状のものを選べばよいか9.接触点の恢復が正しくないとどんな障害が起るか10.金箔充填にはどんな特徴があるか また、口腔外科では1.歯牙に分布する神経は何神経の何枝かその名称を挙げよ2.下顎骨骨折の好発部位を列挙しその共通点の症状を述べよ3.先天性黴毒の徴候を述べよ4.放線状菌症の診断を確定するには何を証明すれば良いか5.抜歯時に主として用いられる麻酔薬の名称並びにそれを使用する場合の濃度を述べよ6.顎骨骨疽の診断及び処置を述べよ7.肉牙組織について述べよ8.歯系顎骨腫瘍の二つを挙げその主な組織学的所見を述べよ9.根端切除術の適応症を列挙せよ10. 三叉神経痛の三圧痛点(ヴァレー氏三圧痛点)を示せというようなものであった。 なお、第1回と2回の歯科医師国家試験は臨床のみで行われ、基礎の問題が加わったのは第3回以降であった。 終戦直後は社会秩序も乱れ、極度の食糧難と生活苦に加え、激しいインフレーションにより通貨価値は下落した。インフレーションは医療費の自己負担を困難にし、保険利用者が急激に増え、診療所の経営の大半は保険収入に依存するようになり、わが国の医療は実質的に保険診療へと移行していった。 保険医療者(一部負担を含む)の割合は以下のように推移した。
これを、政府管掌健康保険の受診率(被保険者1,000人当たりの受診件数)でみると昭和22年 1.46昭和23年 1.97昭和24年 4.49昭和25年 5.49と上昇し、保険経済を苦しくしていった。 国民医療費の総額は昭和24年 1,133億円昭和25年 1,153億円昭和26年 1,162億円昭和27年 1,539億円昭和28年 2,053億円昭和29年 2,281億円 昭和24年度には31億円の赤字が推定されるに至ったため、政府は保険料率の引き上げ、標準報酬の枠の拡大、一時の借り入れ等によりなんとか乗り切れたが、その後も赤字が続いた。 当初、10銭に定められた1点単価もインフレーションの昂進によって、漸次高騰した。全国一律的であった単価も、その不合理性のため甲地、乙地、丙地等の地域別が設けられた。昭和22年の初頭、かねて要望されていた社会保険診療報酬算定方法の民主化が実現し、従来あった中央の社会保険診療報酬算定協議会は、保険者代表、被保険者及び事業主代表、診療担当者代表並びに学識経験者等公益代表を網羅した協議会に組織替えされ、診療報酬額の標準を決めることとなった。各都道府県にも中央協議会と同様な組織が置かれた。 1点単価は戦後、下記のように推移した。
日本歯科医師会
富山県歯科医師会
富山市歯科医師会
前回、昭和22年4月に第1回の歯科医師国家試験が実施されたことを書いたが、保存学の記述式の問題は以下のようなものであった。
1.ブラック氏剔削用器械(Cutting instruments)の把柄に記入してある数字は何を意味 するか例を挙げて説明せよ
2.所謂軟化象牙質はどうして形成されるか,これを病理学的に説明せよ
3.隣接面に発生した初期齲蝕はどうしてこれを発見するか
4.抜髄はどういう場合に行ってよいか,そして何の目的で行うのか
5.第二象牙質はどういう場合に形成されるか
6.各永久歯の根端完成の時期について述べよ
7.ラバーダム防湿法にはどんな利点があるか
8.根管充填剤としてはどんな性状のものを選べばよいか
9.接触点の恢復が正しくないとどんな障害が起るか
10.金箔充填にはどんな特徴があるか
また、口腔外科では
1.歯牙に分布する神経は何神経の何枝かその名称を挙げよ
2.下顎骨骨折の好発部位を列挙しその共通点の症状を述べよ
3.先天性黴毒の徴候を述べよ
4.放線状菌症の診断を確定するには何を証明すれば良いか
5.抜歯時に主として用いられる麻酔薬の名称並びにそれを使用する場合の濃度を述べよ
6.顎骨骨疽の診断及び処置を述べよ
7.肉牙組織について述べよ
8.歯系顎骨腫瘍の二つを挙げその主な組織学的所見を述べよ
9.根端切除術の適応症を列挙せよ
10. 三叉神経痛の三圧痛点(ヴァレー氏三圧痛点)を示せ
というようなものであった。
なお、第1回と2回の歯科医師国家試験は臨床のみで行われ、基礎の問題が加わったのは第3回以降であった。
終戦直後は社会秩序も乱れ、極度の食糧難と生活苦に加え、激しいインフレーションにより通貨価値は下落した。インフレーションは医療費の自己負担を困難にし、保険利用者が急激に増え、診療所の経営の大半は保険収入に依存するようになり、わが国の医療は実質的に保険診療へと移行していった。
保険医療者(一部負担を含む)の割合は以下のように推移した。
これを、政府管掌健康保険の受診率(被保険者1,000人当たりの受診件数)でみると
昭和22年 1.46
昭和23年 1.97
昭和24年 4.49
昭和25年 5.49
と上昇し、保険経済を苦しくしていった。
国民医療費の総額は
昭和24年 1,133億円
昭和25年 1,153億円
昭和26年 1,162億円
昭和27年 1,539億円
昭和28年 2,053億円
昭和29年 2,281億円
昭和24年度には31億円の赤字が推定されるに至ったため、政府は保険料率の引き上げ、標準報酬の枠の拡大、一時の借り入れ等によりなんとか乗り切れたが、その後も赤字が続いた。
当初、10銭に定められた1点単価もインフレーションの昂進によって、漸次高騰した。全国一律的であった単価も、その不合理性のため甲地、乙地、丙地等の地域別が設けられた。昭和22年の初頭、かねて要望されていた社会保険診療報酬算定方法の民主化が実現し、従来あった中央の社会保険診療報酬算定協議会は、保険者代表、被保険者及び事業主代表、診療担当者代表並びに学識経験者等公益代表を網羅した協議会に組織替えされ、診療報酬額の標準を決めることとなった。各都道府県にも中央協議会と同様な組織が置かれた。
1点単価は戦後、下記のように推移した。