中道歯科医院|富山市高木 むし歯 歯周病 入れ歯 訪問診療 小児歯科 英語対応可 Availble language:Einglish,Department of Dentistry,ToyamaCity

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中道歯科医院
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2022年1月24日
令和4年1月院長のマンスリ−ト−ク ◆戦前の健康保険歯科診療−⑩厚生省の歯科医技官誕生と1点単価10銭
令和4年1月院長のマンスリ−ト−ク ◆戦前の健康保険歯科診療−⑩厚生省の歯科医技官誕生と1点単価10銭

 昭和2(1927)年に健康保険の歯科診療が開始されたが歯科医師に対して歩合の悪い成績を上げたことなどにより日本歯科医師会(血脇守之助会長)は内務大臣に対し「内務省衛生局に衛生技術官として歯科医師を採用するように」という強い建議を第3回の日本歯科医師会定時総会で行った。 しかし、長い間その建議は実現しなかった。
 昭和10(1935)年になり、 勅令298号によって「府県衛生部衛生技師又は衛生技術官として歯科医師を任用する事」が決定され、昭和11(1936)年に警視庁衛生部に川手三人が衛生技術官として任用された。 川手氏は大正13(1924)年から警視庁衛生部にいたが、このとき初めて正式に技術官となった。また、 同年に米井季雄が大阪府警察部衛生課の衛生技師に、さらに有久夏夫が愛知県一宮市厚生課に衛生技手として採用されたが、 内務省には歯科医師は不在のまま欠落していた。
 太平洋戦争の戦局の進展に伴い、国民医療法の制定が話題に上ってきた昭和17(1942)年1月になって、それまで長い間、嘱託という形でかかわってきた2人の歯科医師がはじめて高等官7等という形で正式に厚生省の技官になった。大西栄蔵と水野_太郎の2人である。
 大西栄蔵は大正12(1923)年に東京歯科医学専門学校を卒業後、 故郷中津に帰って開業し、昭和10(1935)年に大分県歯科医師会副会長までになったが、 地区の歯科界内部のトラブルに巻き込まれて、 意を決して上京、 内務省共済会歯科の主任として就任した。 そして、昭和13(1938)年に厚生省が設立されるとともに厚生省歯科診療所に移った。それと同時に、 厚生省衛生局の嘱託になり、 診療所と同時に医務課の歯科医事衛生行政に関わることになった。
 一方、水野_太郎は昭和2(1927)年に東京歯科医学専門学校を卒業すると母校の保存学教室に残り、 花澤鼎(病理学、 大正12年歯科学で初の医学博士号を得た−当時の歯科医師に勇気と希望を与えた)らの指導を受け、 昭和10(1935)年、 助教授のまま、 国からは給与のない無給嘱託の形で保険院に入った。 そして、昭和18(1943)3月、正式な技師の就任直後に、社会保険歯科医療内容の向上を目指して「健康保険歯科医療療養担当規程」(省令106号)の作成に取りかかった。
 戦前の一般の開業医の臨床は前近代的な様相を呈しており、 歯科診療所では診察料あるいは初診料などはほとんどとってなかった。 ゴム充填、 セメント充填、 開面金冠などが盛んに行われ、 シェルクラウンが大流行していた。 もちろん、 インレ−などは巷ではほとんどみられなかった。リ−マ−やファイルを使わないクレンザ−だけの根管治療や綿栓根充、さらに無縫冠の乱用や、シンメルブッシュのない薬液消毒だけの歯科診療所があまり珍しくなくみられた。 
 太平洋戦争の戦局の変化ともに、 社会保険医療制度の機能は低下し、 終戦のときにはほとんど機能してない状態で、 皮肉なことに当時の運営は黒字であった。

 療養に要する費用は、厚生大臣が1点単価を10銭と法律で規定し、 日本歯科医師会健康保険歯科診療報酬点数計算規程を、 歯科診療報酬点数計算規程と改めて、 診療点数を市部と郡部に区分し全体に増点して昭和16年4月1日から実施された(別表)。



 初診料が復活(郡部では当分請求できなかった)され、口蓋補綴、顎骨補綴を除いて全部の診療行為が承認手続きを不要とし、別表に記載のないもの及び記載あるもこれに拠り難いものに対しては、その事由により診療の途を開き、診療種目を増やした。
 昭和17年には、 健康保険法が改正され、「健康保険」に「職員健康保険」「政府職員共済組合」が統合されるとともに、ゴム充填が廃止され、合成樹脂床義歯が加えられた。
昭和18年、健康保険診療報酬支払人頭割請負方式と市部及び郡部の区分が廃止され、 その点数は同一となり且つ郡部の初診料が認められた外に、 処方箋は6点、抜髄処置歯髄切断処置及び根管充填については、普通処置のその他として別の点数が認められた。また、白色ゴム隙、銀合金隙、歯根切除手術が加わり、検査料、X線撮影、注射料の点数が定められ医師と同一標準になった。
 日本歯科医師会と契約した人頭割報酬年額(政府管掌分)は昭和8年10月以降以下の通り


昭和8年10月より 84.0銭
昭和9年度 84.0銭
昭和10年度 84.0銭
昭和11年度 84.0銭
昭和12年度 84.0銭
昭和13年度 84.0銭
昭和14年度 84.3銭
昭和15年度 84.3銭
昭和16年度 92.5銭
昭和17年度 99.0銭

   


当院の特徴紹介
いつも、総山先生の教えを守るよう治療に当たっています。
院長は、この事業の設立時から中心的役割をにない一定の成果を出しました。
年に1回は必ず「かかりつけ歯科医」で健診することが重要と考えます。
良質な音質のBGMを流してます。
患者にとってより安全で安心できる歯科外来診療の環境整備は万全