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2021年2月24日
令和3年2月院長のマンスリートーク◆スペイン・インフルエンザから学ぶこと
令和3年2月院長のマンスリートーク◆スペイン・インフルエンザから学ぶこと
2月下旬になり、新型インフルエンザの感染者が減少したのに伴い、関西の3府県は23日に2月末の緊急事態宣言の解除を求めることとなった。 愛知県も追随する模様。ただ、感染者数の減少ペースが鈍化していることと変異株が懸念されている。首都圏では緊急事態宣言が再延長される可能性も叫ばれている。2月23日午後8時現在の国内での感染者は42万7,385人、死者は7,616人、世界の感染者は1億1,175万7,691人、死者は247万5,283人となっている。
対策の切り札と位置づけられるワクチン接種は2月17日から始まったが、供給見通しが不透明となっていることが危惧される。
今回は、パンデミック研究の圧倒的金字塔、速水融著「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ」から学ぶことがないかみてみる。
スペイン・インフルエンザ(スペインかぜ)は1918年から1920年にかけて世界的に流行大流行したH1N1亜型インフルエンザで、全世界で全人口の27%にあたる5億人が感染した。死亡者は5,000万〜1億人以上を越えていたと推定されており、人類史上最も多くの死亡者を出したパンデミックのひとつである。この流行により第一次世界大戦の終結が早まったともいわれている。
日本では1918(大正7年)4月、当時日本が統治していた台湾で巡業していた大相撲力士3人がなぞの感染症で急死し、5月の夏場所では高熱などにより全休する力士が多く出たため、「相撲風邪」「力士風邪」と呼ばれた。
1918(大正7年)8月に日本に上陸、10月に大流行が始まり学校や病院を中心に多くの患者が発生した。日本内地内務省衛生局「流行性感冒」には、「前流行」(大正7年10月~)の患者2,116万8,398人、死亡者25万7,363人、「後流行」(大正8年12月~)の患者241万2,097人、死亡者12万7,666人という数字を挙げている。合計すると患者2,358万495人、死亡者は38万5,029人(第3波の3,698人は除く)となる。
速水氏は超過死亡も考慮すると実際の死亡者は45万3,152人に上るとしている。府県別インフルエンザ死亡者数は表1の通り。
対処法はマスクの使用、うがいや手洗いの励行、人込みへの外出制限、罹患者の別室隔離といった今と同じ方策がとられていた。
○スペイン・インフルエンザの月別死亡者数(図1)
「前流行」(大正7年10月~)の死亡者は急速に増大し大正7(1918)年11月だけで13万人以上を記録した。翌年1月には2万人を下回ったが、2月には若干それを越え、5月にはほぼ終息している。このグラフは、日本のスペイン・インフルエンザに、「前流行」と「後流行」(大正8年12月~)の2つの山があったことを明白に示している。全国的にみれば、大正7年11月と、大正9年1月がピークで、ピーク時のインフルエンザ死亡者数は、それぞれ13万人強、8万人弱に達した。
この「前流行」における大正7(1918)年11月の13万人という死亡者数は、当時の人々にとって衝撃的なものであった。これ以前、日本人の大量死亡は、明治19(1886)年のコレラ流行による10万8,000人、日露戦争の戦死者8万4,000人が最高であり、大正7(1918)年11月の一カ月だけで13万人という数字がいかに膨大だったかが理解できる。
○スペイン・インフルエンザの年齢階層別インフルエンザ死亡率(図2)
5歳までの乳幼児期を過ぎると、いったん死亡率は低下し、15-19歳層から上昇し、男子では30-34歳層、女子では25-29歳層をピークにあとは次第に下降する。このように、年齢別インフルエンザ死亡率は、男子・女子とも生産の担い手で、通常ならば年齢別死亡率の低い層で逆に高いという特徴がみられる。また、高齢者の死亡率は必ずしも高いわけではなく、80歳以前では徐々に低下している。
速水氏は著書の最後に書く。
甚大な人的損失をもたらしたスペイン・インフルエンザは、なぜ忘れられてしまったのか。クロスビーによれば
1.第1次世界大戦に対する関心が、スペイン・インフルエンザより勝っていた。
2.スペイン・インフルエンザによる死亡率は、高いとは言えなかった。
3.スペイン・インフルエンザは突然やってきて、人々をなぎ倒しはしたが、あっという間に去り、戻ってこなかった。
4.スペイン・インフルエンザは、超有名な人物の命を奪わなかった。
結論的には、日本はスペイン・インフルエンザの災禍からほとんど何も学ばず、あたら45万人の生命を無駄にした。スペイン・インフルエンザから何も学んでこなかったこと自体を教訓とし、過去の被害の実態を知り、人々がその時の「新型インフルエンザ」にどう対したかを知ることから始めなければならない。なぜなら、人類とウイルス、特にインフルエンザ・ウイルスとの戦いは両者が存在する限り永久に繰り返されるからである。
新型コロナウイルスに話題を移すと、死亡者の大半は糖尿病、高血圧、腎臓病、ガンなど基礎疾患のある高齢者であり、子供や健康な成人にはほとんどみられないし、日本での死亡率は欧米の数百分の1で、日本では海外と異なる対策が必要と思われる。
日本も欧米と同様に緊急事態宣言や東京アラートで過剰反応して自粛を強要され、国民は深刻な被害を受けている。メディアは毎日コロナウイルスの恐怖心を煽り続け、日本全体が新型コロナに恐れおののく異様な空気に包まれている。休校措置、3密回避、緊急事態宣言、東京アラート、営業自粛などは壮大な空振りであり、コロナウイルスに対する恐怖心を煽って未だに経済的混乱を深刻化させている。
ウイルスとの攻防で重要なカギを握っているのが「交差免疫」と「集団免疫」である。
過剰反応が続けば、多くの国民が経済的に破綻してしまい倒産、閉店、廃業に追い込まれ、やがて自殺者などが激増する。異常なことを異常と思わない思考停止状態こそが、今回のコロナ騒動の最大のリスクではないか。
敵を知り己を知れば百戦危うからずという。新型コロナウイルスの実態を正しく理解し、日本の進むべき方向を一緒に考えていく姿勢が求められている。
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恩師総山孝雄(ふさやまたかお)先生の教え
いつも、総山先生の教えを守るよう治療に当たっています。
富山県内での産業歯科保健事業からの成果を踏まえて
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年に1回は必ず「かかりつけ歯科医」で健診することが重要と考えます。
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対策の切り札と位置づけられるワクチン接種は2月17日から始まったが、供給見通しが不透明となっていることが危惧される。
今回は、パンデミック研究の圧倒的金字塔、速水融著「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ」から学ぶことがないかみてみる。
スペイン・インフルエンザ(スペインかぜ)は1918年から1920年にかけて世界的に流行大流行したH1N1亜型インフルエンザで、全世界で全人口の27%にあたる5億人が感染した。死亡者は5,000万〜1億人以上を越えていたと推定されており、人類史上最も多くの死亡者を出したパンデミックのひとつである。この流行により第一次世界大戦の終結が早まったともいわれている。
日本では1918(大正7年)4月、当時日本が統治していた台湾で巡業していた大相撲力士3人がなぞの感染症で急死し、5月の夏場所では高熱などにより全休する力士が多く出たため、「相撲風邪」「力士風邪」と呼ばれた。
1918(大正7年)8月に日本に上陸、10月に大流行が始まり学校や病院を中心に多くの患者が発生した。日本内地内務省衛生局「流行性感冒」には、「前流行」(大正7年10月~)の患者2,116万8,398人、死亡者25万7,363人、「後流行」(大正8年12月~)の患者241万2,097人、死亡者12万7,666人という数字を挙げている。合計すると患者2,358万495人、死亡者は38万5,029人(第3波の3,698人は除く)となる。
速水氏は超過死亡も考慮すると実際の死亡者は45万3,152人に上るとしている。府県別インフルエンザ死亡者数は表1の通り。
対処法はマスクの使用、うがいや手洗いの励行、人込みへの外出制限、罹患者の別室隔離といった今と同じ方策がとられていた。
○スペイン・インフルエンザの月別死亡者数(図1)
「前流行」(大正7年10月~)の死亡者は急速に増大し大正7(1918)年11月だけで13万人以上を記録した。翌年1月には2万人を下回ったが、2月には若干それを越え、5月にはほぼ終息している。このグラフは、日本のスペイン・インフルエンザに、「前流行」と「後流行」(大正8年12月~)の2つの山があったことを明白に示している。全国的にみれば、大正7年11月と、大正9年1月がピークで、ピーク時のインフルエンザ死亡者数は、それぞれ13万人強、8万人弱に達した。
この「前流行」における大正7(1918)年11月の13万人という死亡者数は、当時の人々にとって衝撃的なものであった。これ以前、日本人の大量死亡は、明治19(1886)年のコレラ流行による10万8,000人、日露戦争の戦死者8万4,000人が最高であり、大正7(1918)年11月の一カ月だけで13万人という数字がいかに膨大だったかが理解できる。
○スペイン・インフルエンザの年齢階層別インフルエンザ死亡率(図2)
5歳までの乳幼児期を過ぎると、いったん死亡率は低下し、15-19歳層から上昇し、男子では30-34歳層、女子では25-29歳層をピークにあとは次第に下降する。このように、年齢別インフルエンザ死亡率は、男子・女子とも生産の担い手で、通常ならば年齢別死亡率の低い層で逆に高いという特徴がみられる。また、高齢者の死亡率は必ずしも高いわけではなく、80歳以前では徐々に低下している。
速水氏は著書の最後に書く。
甚大な人的損失をもたらしたスペイン・インフルエンザは、なぜ忘れられてしまったのか。クロスビーによれば
1.第1次世界大戦に対する関心が、スペイン・インフルエンザより勝っていた。
2.スペイン・インフルエンザによる死亡率は、高いとは言えなかった。
3.スペイン・インフルエンザは突然やってきて、人々をなぎ倒しはしたが、あっという間に去り、戻ってこなかった。
4.スペイン・インフルエンザは、超有名な人物の命を奪わなかった。
結論的には、日本はスペイン・インフルエンザの災禍からほとんど何も学ばず、あたら45万人の生命を無駄にした。スペイン・インフルエンザから何も学んでこなかったこと自体を教訓とし、過去の被害の実態を知り、人々がその時の「新型インフルエンザ」にどう対したかを知ることから始めなければならない。なぜなら、人類とウイルス、特にインフルエンザ・ウイルスとの戦いは両者が存在する限り永久に繰り返されるからである。
新型コロナウイルスに話題を移すと、死亡者の大半は糖尿病、高血圧、腎臓病、ガンなど基礎疾患のある高齢者であり、子供や健康な成人にはほとんどみられないし、日本での死亡率は欧米の数百分の1で、日本では海外と異なる対策が必要と思われる。
日本も欧米と同様に緊急事態宣言や東京アラートで過剰反応して自粛を強要され、国民は深刻な被害を受けている。メディアは毎日コロナウイルスの恐怖心を煽り続け、日本全体が新型コロナに恐れおののく異様な空気に包まれている。休校措置、3密回避、緊急事態宣言、東京アラート、営業自粛などは壮大な空振りであり、コロナウイルスに対する恐怖心を煽って未だに経済的混乱を深刻化させている。
ウイルスとの攻防で重要なカギを握っているのが「交差免疫」と「集団免疫」である。
過剰反応が続けば、多くの国民が経済的に破綻してしまい倒産、閉店、廃業に追い込まれ、やがて自殺者などが激増する。異常なことを異常と思わない思考停止状態こそが、今回のコロナ騒動の最大のリスクではないか。
敵を知り己を知れば百戦危うからずという。新型コロナウイルスの実態を正しく理解し、日本の進むべき方向を一緒に考えていく姿勢が求められている。