厚生労働省の2011年の調査では、歯科診療所の16.8%に当たる1万1311施設で歯科のインプラント治療行われている。1980年代に世界中に普及したインプラント治療は、日本では主として開業歯科医師による自由診療として広まり、歯科大学や大学歯学部での教育は十分に行われてこなかった。その結果、治療をめぐるトラブルも数多く発生し、国民生活センターの2011年12月の発表によると、痛みや腫れなどの症状を訴える相談が2006年度以降の5年間で343件寄せられている。
2007年5月には東京都内の歯科診療所でインプラント治療を受けた70歳の女性が手術中の動脈損傷がもとで死亡するという事故も起きた。亡くなった女性の治療を担当したのは国内有数のインプラント治療実績を誇るI歯科医師だった。業務上過失致死罪で起訴されたその歯科医師の公判を通じて浮き彫りになったのは、インプラント治療の標準化の遅れだった。
患者Aさんが初めてI歯科八重洲診療所を受診したのは2007年5月18日のことだった。Aさんは、歯科衛生士の問診を受け、歯のレントゲン写真を撮影された。その後、I歯科医師の診察を受けた。当時、Aさんは相当数の歯が欠損してかみ合わせが悪く、一部の歯は歯根だけが残っている状態だった。I歯科医師は左下顎に3本、右下顎に1本、左上顎に1本、右上顎に3本の計8本のインプラント体を埋入する手術をする必要があると判断し、Aさんに説明し、了承を得た。初診から4日後の5月22日に手術を行うことになった。 その後、Aさんは一度に8本のインプラントを埋入する手術を受けることに不安を覚えた。手術前日の5月21日に診療所に電話を入れ、手術を2回に分けるか、本数を減らしてほしいという希望を伝えた。I歯科医師はAさんの意向に従い、左下顎に4本、右下顎に1本のインプラント体を埋入する手術を行うことにした。
Aさんに対する手術は5月22日午後1時30分ころから始まった。I歯科医師は同1時54分頃から2時30分頃までに左下顎骨に4本のインプラント体を埋入した。
下顎の骨は外側が「皮質骨」という、比較的硬く、しっかりとした部分で覆われており、その内部に「海綿骨」という、骨髄が入っていて比較的軟らかい部分がある。I歯科医師は海綿骨部分でインプラント体を固定しようと考えた。そして、歯槽頂からまず直径2.5ミリメートルのドリルを、続いて直径3.2ミリメートルのドリルをそれぞれ用いて、インプラント体を入れる穴をつくるためのドリリングを行い、予定通り、皮質骨に到達する前の海綿骨の部分でドリリングを止めた。次に、その穴にインプラント体(直径4.1ミリメートル、長さ12ミリメートルのもの)をねじ込んだが、インプラント体が固定された状態とはならなかった。
そこで、I歯科医師は、海綿骨の先にある、「舌側」の皮質骨をわずかに穿孔し、これを利用して初期固定を得る方法を採ることにした。いったん入れたインプラント体を取り外し、直径2.5ミリメートルのドリルでさらにドリリングを進めて、舌側の皮質骨を意図的に穿礼した。その後、直径3.2ミリメートルのドリルで舌側の皮質骨までドリリングし、インプラント体の埋入窩をより深く形成した上で、再びインプラント体をねじ込んだ。
その後、I歯科医師は、埋入したインプラント体の上の部分に義歯を装着するためのアバットメントの取り付けを始めたが、その途中で、Aさんに異常な反応が見られたため、口の中を見ると、舌の下側の口腔底が盛り上がっていたことから、出血があったと考えた。インプラント体を取り外したところ、ドリリングした穴から出血があった。
I歯科医師が出血部分にガーゼをあて、両手の指で圧迫止血すると、1O分ほどで穴からの出血が止まった。そこで、再びインプラント体を埋入したところ、まもなく、Aさんがうなり声を上げて体をばたつかせ、やがて、その腕の力が抜けて垂れ下がった。
Aさんは午後4時頃、東京都中央区の聖路加国際病院に搬送され、さらなる救命措置を施されたが、手術翌日の5月23日午前9時18分頃死亡した。他の医療機関での手術中に容体が急変して死亡したケースであったため、聖路加国際病院は警視庁中央署にAさんの死亡を届けた。
Aさんの遺体は東京大学法医学教室の吉田謙一教授らによって司法解剖された。
Aさんの司法解剖を担当した東京大学法医学教室の吉田謙一教授と鶴見大学歯学部法医歯学研究室の佐藤慶太准教授は、Aさんの事故の1年後に開催された日本法歯科医学会第2回学術大会でAさんの事例を発表した。その内容をまとめた論文が、学会発表の翌年の2009年に発行された「日本法歯科医学会誌」に掲載された。
そこに記載された事故の問題点は以下のようなものであった。