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中道歯科医院
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2023年4月25日
令和5年4月院長のマンスリートーク◆昭和30年代の歯科医療−②昭和30年代の社会保障体系の整備
令和5年4月院長のマンスリートーク◆昭和30年代の歯科医療−②昭和30年代の社会保障体系の整備

 昭和30年代初めから昭和40年代の終わりまでの約20年間は、世界史上でも例をみないような高度成長の時代であった。昭和25年に起きた朝鮮戦争による特需や輸出増加、また、昭和26年以降の基礎産業に対する国家資金の積極的な投入で、電力・造船・鉄鋼などの設備投資が進み、昭和30年から昭和32年の「神武景気」、昭和34年から昭和36年の「岩戸景気」と呼ばれた大型景気が続いた。わが国の経済は、朝鮮戦争以降急速な勢いで成長を遂げていった。
 労働者の賃金は、若年層を中心とする労働力不足などで上昇し、国民生活にも大きな変化が生じた。白黒テレビ、冷蔵庫や洗濯機というような電化製品(「三種の神器」として宣伝された)の普及、集合住宅の建設、合成繊維衣料品の登場、洋風の食生活の普及などである。
 昭和30年代の初め、わが国の社会保障制度における大きな目標は国民皆保険であった。疾病は貧困の最大の原因であることから、疾病への備えは特に緊急性の高いものと考えられた。当時、農業や自営業などに従事する人々ら、国民の約3分の1は医療保険の適用を受けていなかったので、これらの人々に医療保険による保障を行うことが目指された。そこで、昭和33年に新しい「国民健康保険法」が制定され、医療保障の分野で国民皆保険体制が確立されることとなった。また、昭和34年には「国民年金法」が制定され、所得保障の分野でも国民皆年金体制が確立されることとなった。その結果、昭和36年には社会保障制度の中心である社会保険制度がすべての国民を対象とするものとなり、わが国の社会保障制度の基本的な体系が整備された。
 一方、昭和33年10月の新医療費体系に基づく診療報酬の改定後、各方面から甲・乙二表の一本化、診療報酬の額の引き上げ、点数表の手直しの要望が出された。昭和35年8月には日本医師会が中山厚相に対して制限診療の撤廃、医療費単価の3円引き上げ、保険診療事務の簡素化、甲・乙二表の一本化の4項目の要望書を提出し、日本歯科医師会も値上げを要求した。
 昭和36年6月28日、古井厚相は、中医協の場における事態の解決を目指し、日本医師会、日本歯科医師会、日本薬剤師会の三師会欠席のまま、約2年ぶりで中医協が再開させた。再開された中医協では、昭和36年7月7日から医療費を12.5%、7月1日にさかのぼって引き上げることを答申した。
 診療報酬改定の要点は、①単価の一律値上げと点数合理化を併行して行うこと、②計算単価としての10円はそのままとして点数を改定すること、③基本入院料、基準看護加算及び往診料をそれぞれ18%〜20%引き上げ、歯科補綴の一部については5%程度引き上げること、④調剤料も均衡をとって引き上げることであった。
 厚生省はこの答申に基づき、医療費を7月1日から12.5%引き上げを行う旨の告示を行った。これに対し、日本医師会と日本歯科医師会は、池田内閣の改造により灘尾厚相が就任した7月19日に告示の補正を要求して8月1日を期して保険医総辞退を行うことを決定した。そして、政府与党と診療側との間でぎりぎりの話し合いが続けられた結果、7月31日に医療保険制度の抜本的改正など4項目の合意が成立し、保険医総辞退は回避された。
 灘尾厚相、自民党田中政調会長及び日本医師会、日本歯科医師会両長は各々が、
①医療保険制度の抜本的改正
②医学研究と教育の向上と国民福祉の結合
③医師と患者の人間関係に基づく自由の確保
④自由経済社会における診療報酬制度の確立
の4項目の実現に向かって努力することで合意した。
 これに伴い医師会側は、8月1日に予定していた保険医総辞退は行わないこと、厚生大臣の設置する懇談会に参加するという形で保険医総辞退は収拾された。
 昭和36年9月5日に懇談会が了解した事項は、医療内容の改善については、医学・薬学の進歩は速やかに医療保険に採り入れ、国民医療の水準の向上を期すものとするということであった。このうち、療養担当規則・治療指針・使用基準の改善については、新薬・新検査法・新療法についてはできるだけ速やかに採用するものとされた。
 筆者は、昭和36年7月7日から医療費を12.5%、7月1日にさかのぼって引き上げることを答申した際に、基本入院料、基準看護加算及び往診料をそれぞれ18%〜20%引き上げ、歯科補綴の一部については5%程度引き上げることとされたが、なぜ、歯科補綴の値上げが12.5%ではなく、5%程度なのか疑問である。多分、ここでいう5%とは純粋な「技術料」のことで、「物」と併せるとほぼ10%程度アップするということを意味していると思われる。新医療費体系は、「物」と「技術」を分離し、適正なる技術報酬を支払うはずだったのに、歯科においては、昭和42年まで、「物」と「技術」は分離されず、診療報酬の値上げは「物」を含んで約10%にするという、新医療費体系の意図を無視するル−ル違反を昭和59年まで行っていたというのが、現在の低歯科医療費政策の原点である。

参考文献:厚生省五十年史

 昭和36年7月から実施された社会保険歯科診療報酬点数表は次のようなものであった。

   


当院の特徴紹介
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